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ラクロスユニフォーム・ウォームアップス

ラクロスの歴史

1.ラクロスのルーツ

ラクロスの起源は現在のカナダ周辺の北米先住民族にあります。境界線は設けなかったので広大な土地で100人から1000人が同時に参加したとも言われています。 北米先住民族にとっては大イベントであり競技は数日間も続けられました。日出と共に開始し日没には終了。このゲームの意味には諸説あり、始めは誰が(どの部族が)この世界を支配するかと言う名目で始められたとされています。先住民族の言い伝えによりますと、その後幾多の試合が行われ最終的にテハロンンヒアワコンがソーウィスカレラに勝利し偉大な人類の創造主になったとされています。

ラクロス起源1

ラクロスは神聖なゲームとされており今でもラクロスが行われるとこれは「偉大な創造主の為のゲーム」である事と創造主の代わりに或いは為に戦いテヘロンヒアワコンとソーウィスカレラが陰で見守り或いは参加し、競技者や感観戦者はそのご利益を得ているとされていますので崇拝儀式の様なものであったと言うのが有力な説です。又若い戦士の戦闘用の訓練でもありゲームとして戦う為大規模な戦争が回避されたと言う史実も残っています。
芸術家のジョージ・カットリンは当時北米大陸を旅した際、先住民族によるこのゲームを何度も目撃しており絵として記録しています。 

ラクロス起源2
ラクロス起源3

2.ラクロスの名付け親

当時の先住民族が使用していた「ボール」は木製でスティックには鹿の筋や筋肉で編んだネットの様なものが張られており神聖な競技である為選手は顔や体にペインティングを施していました。 

ラクロス木製ボール

ラクロスの名付け親は、1630年代セント・ローレンス渓谷で他の宣教師達と共に布教活動を行っていたイエズス会のフランス人宣教師ジャン・デュ・ブレビューフ。彼は1636年にヒュウロン族のゲームを詳細に書き、スティックが修道士の杖に似ていると言う理由でこのゲームを単にラクロスと名付けました。(Crosse:フランス語でクロス=杖)
もし彼がドイツ人であったらラクロスと言う名前もドイツ式になっていたかもしれません。

ラクロス ジャン デュ ブレフューフ

3.近代ラクロスの父

1834年、コーナワガワ族によりモントリオールでラクロスのデモンストレーションが行われ、その結果 カナダ国内でラクロスの人気が一気に高まり1867年カナダの歯科医師ウィリアム・ジョージ・ビアーズ(William George Beers)はカナディアン・ナショナル・ラクロス協会を設立しその後競技人数等ルールを定めスティックを作り直しボールをゴム製に変えました。
ビアーズ自身も10代の頃モントリオール・ラクロス・クラブの選手でゴーリーとしてプレーし、1860年より新ルール作りに励み1チーム12人、フィールドを長さ180mとしています。
ビアーズは、「近代ラクロスの父」とされています。

ウィリアムビアーズ

4.近代ラクロスの父 W.G.ビアーズ先生のお話です

ウィリアム・ジョージ ビアーズ、1841年5月5日生まれ。職業は歯科医師、執筆家でありアスリートでもありました。大変な愛国者であったと有名です。1900年12月26日心臓病の為死亡。享年59歳。
 
モントリオールの高校と大学で学び4年間歯科医師見習いとして市内で働きます。彼の歯科医師としの才能はすぐに開花しカナダ国内でも有数の名医とされました。1860年代初頭にはアメリカの歯科専門誌にも記事を書き1868年には自費でカナダ歯科科学編集社を設立していますが資金難の為1879年に閉鎖されました。 
ビアーズは6歳よりラクロスと始め、1860年にはモントリオール ラクロス クラブのゴーリーとしてウェールズの皇太子の前でもプレーしています。ラクロスは1830年代より欧州からの移住者によりプレーされていましたが元は先住民族の競技である事も知っておりたびたびモントリオール近郊の先住民族を訪れ競技を観察していましたが、時に暴力的で野蛮な行為に我慢が出来ませんでした。彼はどうにかしてこのゲームを合理化・近代化したいと考え、新たに競技人数やフィールドサイズを定め自身が考えたルールを関係者に一斉配布しました。
その努力はみのり1867年9月26日にオンタリオ州キングストン市でケベックやオンタリオの29のクラブからなるナショナル ラクロス協会が設立され彼が提唱したルールが採用されます。
この時「ラクロスは文明社会が作り上げた科学に基づいたスポーツであり野蛮人のものとは異なる」としていましたが、後に訂正しています。若さと強い愛国心がこの様な表現をさせたとも言われています。
ビアーズのカナダを想う気持ちはかなり強く、ラクロスを「カナディアン ラクロス」としてカナダ国内ではなく海外に「カナダが発祥のスポーツ」として普及させようとしていました。様々な努力の末19世紀後半ラクロスはカナダの国技として正式に認定されます。ビアーズはラクロス以外の競技も熱心に推進し数々の雑誌に関連記事を掲載しています。
 
大変優秀な歯科医師でもありましたのでもちろん歯科医療活動も精力的に継続しておりマックギル大学では歯科学部の教授にもなっています。
晩年は歯科医として治療に専念し、1900年12月、59歳で亡くなるまで歯科医学に関する本を400冊以上執筆しています。

5.欧州への拡大

ビアーズの活動により1860年ラクロスはカナダの国技になりアメリカ、イギリス、アイルランド、スコットランドと オーストラリアに広まり1876年にはイギリスでエキシビジョンゲームが開催されています。当時ラクロスは男性のスポーツとされていましたが1876年ビクトリア女王がラクロスを観戦された時、「このゲームはなんと愛らしいの」と話され、この一言で女性たちの間でいっきに人気が出たそうです。同年1876年にはアメリカ・ニューヨーク大学で最初のラクロス チームが結成されています。
 
1883年にカナダと先住民族イロコイスのチームがスコットランドに遠征した際、ラクロスの紹介と同時に観客に対して カナダへの移住勧誘も行われていました。
20世紀に入るとラクロスは各国で有名になり1904年と1908年の夏季オリンピックで競技が行われています。
 
1867年モントリオール・ラクロスクラブ
ラクロス1867

1904年オリンピック金メダルチーム
ラクロス1904

6.女子ラクロス

女性の間でもラクロスは大変人気があり、女性による正式なラクロス競技は1890年3月27日スコットランドの聖アンドユースにある聖レオナード学校が初めてとされています。初の女性校長であったラムスデン女史は1884年モントリオールでカンフワイヤ・インデアン対モントリオールクラブの試合を観戦し「大変美しく優雅である」と述べ自身の学校でも行う事にして8人制で試合を行いました。
その後1895年には10人に増え、1913年には現在の様に12人になっています。

女性のユニフォームは当時の時代背景から当然ロングスカートでした。
卒業生達は1896年に南イギリスのワイコム・アビー校、1902年にはローデアン校にラクロスを紹介し、1903年にはイギリスのベッドフォード・フィジカル・トレーニング大学とマダム・バーグマン・オスターバーグ大学がラクロスを導入しています。当時のラクロス経験者は、学校にラクロスを紹介するだけではなく指導者の育成にも励んでいました。
 
ラクロスは当初から学生のスポーツであってクラブチームはかなり後に誕生します。 
イギリスで最初に設立されたクラブは1905年のサウザン・レディス・クラブでした。
1912年にはレディス・ラクロス協会(The Ladies Lacrosse Association) が設立され国際試合が多数行われています。
 
スコットランド・レディス・ラクロス協会 (The Scottish Ladies Lacross Association) が設立されたのは1920年。ウェールズとアイルランドに組織が誕生したのは1930年です。
 
スコットランド・ラクロスの選手で聖レオナード校の卒業生のロザベル・シンクレアがアメリカのバルティモアの学校でチームを作りそこからラクロスはアメリカ国内に広がり1931年に全米女子ラクロス協会/USWLAが設立されました。

7.女子ラクロスのユニフォーム

女子ラクロスユニフォーム1

男性の場合はシャツにハーフパンツと生地やデザイン以外は現在とさほど変わりはありません。 しいて言えば現在の男性はヘルメット着用を義務付けられています。
女性の場合、当時の時代背景もあり基本的には肌を露出してはいけなかったので20世紀初頭まではロングスカートでした。 

女子ラクロスユニフォーム2

時代の変化と共に女性のファッションも変化しスカートの丈は徐々に短くなります。1950年頃からはより動きやすくする為にハーフパンツを着用しており1960年以降は一般のファッションが変化したと同時に現在の様な短めのスカートになりました。
現在はスカート、パンツどちらでもかまわないとしていますね。 

 
女子ラクロスユニフォーム4
 

8.ラクロス発祥の地カナダでの歩み

西洋人がこのゲームをラクロスと名付ける遥か以前は、北米先住民(現カナダ)の部族間では主に宗教的儀式としてバッガタウェイ(Baggataway)又はテワーラトン(Tewaarathon) と呼ばれていました。ラクロスは本来部族間での神聖な儀式でこの競技に参加する事は大変名誉のある事で部族にも名誉と繁栄がもたらすものとされていました。

ラクロス カナダ

1840年代にタウンフォークと先住民の間で最初の試合が行われました。
先住民に勝利するまで何年もかかりましたが、その間ラクロスは北米移住者達の間で大変人気のある競技に発展し1859年カナダの国会で正式に国技として制定されまし。 1867年歯科医師のビアーズ先生がキングストンでカンファレンスを開き北米大陸で最初の国技となったラクロスを管理する新しい組織 ナショナル・ラクロス協会 (National Lacrosse Association) を作りルールの統一や大会運営を行いました。ビアーズ先生は大変な愛国者でも知られモットーは、Our Country – Our Game でした。
    
20世紀、ラクロスはカナダで最も盛んに行われたスポーツでした。
国中に多くのアマチアやプロリーグが発足し、1901年、当時のカナダの総督ミント氏はカナダの選手権大会のシンボルとなるシルバーカップを開催しました。このミントカップは現在ジュニアクラスで最上位のランクにあるラクロスの最も権威ある大会の一つとされています。
 
カナダ北鉄道の主任設計士ドナルド・マン氏は1910年、全国アマチアシニア大会優勝者にゴールドカップを寄贈。 現在では、カナダ・ボックス・ラクロス シニア選手権の賞品になっています。
 
カナダ・ラクロス協会は現在ラクロスを4つのカテゴリーに分けています。
(ボックス、メンズフィールド、ウーメンズフィールド、インターラクロスボックス (Box)は、6人制の屋内ラクロス。インター・ラクロス(Inter-Lacrosse)は、競技者の年齢や経験に合わせたノンコンタクトバージョンです。 

9.ラクロス inアメリカ

ラクロスは北米大陸で最も古いスポーツとされています。
アメリカでは北東部の大学と高等学校で人気が急上昇し1877年マンハッタン大学ニューヨーク校とニューヨーク大学が始めて大学対抗戦を行い、1882年にはニューハンプシャーとニュージャージの高校でもラクロスが始まりました。1879年全米アマチア・ラクロス協会が設立。
 
女子ラクロスがスコットランドよりアメリカに紹介されたのは1900年代初頭、1922年には全米女子ラクロス・キャンプが催され1931年全米女子ラクロス協会が設立されています。ルールは男性とは違いボディへの接触は禁じられていますので男子の様にヘルメットは義務付けられていませんがアイガードは必要です。 
 
ところで、なぜ女子ラクロスはお隣のカナダではなく遠く離れたスコットランドから伝わったのか?
 
女子ラクロスの指導者がいなかった為とも言われていますが、悲しい歴史ですね。今では考えられない事ですが当時は他の競技同様まだ女性はフィールドでプレーする事が認められていませんでした。1920年あたりからようやく意識が緩和され急速に発展していったとされています。

10.BOX ラクロス

ボックス・ラクロスは、フィールドではなく屋内で行うインドア・スポーツで、Boxla、LaxあるいはBoxと呼ばれ、コートは伝統的にアイスホッケーのリングを使用します。氷はもちろん外されるか上からカバーをかけます。
Boxラクロスの最高峰はナショナル・ラクロス・リーグ(NLL)とカナダ・ラクロス協会とされています。現在国際ラクロス連盟(FIL)には31カ国が加盟していますがBoxラクロスの国際大会に参加しているのは8カ国のみ。
インドア・ラクロスの起源は不明です。一説によると選手のパディ・ブレナンとモントリオールの審判が試合中にボールがフィールド外に出るたびに試合が中断される事に苛立ち1920年代にロイヤル山アリーナで試した事が最初とされています。
1920年代、モントリオールのナショナルホッケーリーグのオーナー、ジョゼフ・カタリニチとレオ・ダンデュランがアイスホッケーアリーナのオーナーにこの新しいスポーツを紹介し1930年代に6対6のインドアラクロスとして夏場使わないアイスホッケーリングで始まりましたが当時ほとんどのラクロスプレーヤーから不評でした。
 
最初のプロによるBoxラクロスの試合が行われたのは1931年。その年アリーナのオーナー達は国際ラクロスリーグを作り4チームが在籍していました。Montreal, Canadiens, Montreal Maroons, Toronto Maple Leafs, Cornwall Colts。  1939年にカリフォルニアでBoxラクロスのプロリーグ(Pacific Coast Lacrosse Association) が誕生しましたがすぐに閉鎖され1968年まで再開しませんでした。
 
1974年にモントリオール、トロント、ロケスター、シラキューズ、フィラデルフィアとメリーランドからなる新しいインドア・ラクロスのプロリーグ (Original National Lacrosse League) が作られましたが再び財政難の為閉鎖。1986年、アメリカでラス・クラインとクリス・フリッツにより Eagle Pro Box Lacrosse League が4チームにより作られ再びBoxラクロスのプロリーグが誕生し当時は冬にプレーされました。リーグは第2シーズン終了後 Major Indoor Lacrosse League (MILL)と改名され1998年には再び National Lacrosse League/NLL と改名されカナダ市場にOntario Raidersと共に参入しました。 現在ある5リーグのうち9チームはアメリカに本拠地を置き、競技人口の約三分の二はカナダ人です。
 
カナダのプロリーグ (Canadian Lacrosse League/CLax) が発足したのは2012年、Major League Lacrosse/MLL (フィールド・ラクロス)、National Lacrosse League/NLL(インドア・ラクロス)に次いで北米大陸で3番目のラクロスリーグです。 MLLとNLLは、夏場開催されるのに対してClaxは春と冬場に開催されます。発足当時は6チームで2013年以降7チームに増えました。
Boxラクロスは男性のみのスポーツでしたが、女性のラクロスリーグ (Girl’s and women’s Box Lacrosse League) も近年オンタリオ、アルベルタ、ブリティッシュコロンビアで設立されています。
 
オーストラリアにBoxラクロスが登場したのは1930年台初頭です。 ダンスホールにてメルボルンクラブの選手達による6対6のデモンストレーションマッチが行われ1933年にはアデレード、ブリスベンとパースでもプレーされる様になりましたがカナダの様にオリジナルのラクロスの人気を上回る事はありませんでした。
 
ちなみにアメリカでは、Boxラクロスのプロリーグが発達している事もありラクロスは、
「北米先住民が生み出し、フランス人が洗礼し、カナダ人により広まり最終的にアメリカ人が支配している」と豪語する人も結構いるそうです・・・
 

 
【監修: strategic global marketing 板倉 孝】
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参考文献
Filacrosse.com
Uslacrosse.org
Nllacrosse.ca
Wikipedia (ca)
Biography Beers William George
Sportsknowhow.com/lacrosse/

 
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