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チアリーダー・チアリーディングの歴史

1.チアリーディングのルーツ(起源)

チアメガフォン

応援、歓喜、元気、喜びを意味する「CHEER」は1860年代にイギリスからアメリカに伝わりました。チアリーディングのルーツはアメリカンフットボールと密接に関係していて、最初のチアリングは1869年プリンストン大学とラットジャース大学間の対抗試合で行われたとされています。チアリーダーと聞くとどうしても女性と言うイメージがありますが、初めは日本で言う応援団員でした。応援スタイルや服装は日本とは全く違っていましたが仲間を元気付ける気持は同じでした。1897年正式にチアリーダーが誕生した当時は男性のみによる応援活動でした。
 

フットボールと音戦(ドラムやラッパ、大きなメガフォンを使って音で応援する)が大変ポピュラーになり始めた頃、プリンストン大学の卒業生であってトーマス ピープルスはミネアポリスにあるミネソタ大学に行き男性によるpep squad(ペップスクアッド=応援チーム)を紹介しました。
 
世界で最初のチアリーダー 

Johnny Campbell チア

後にミネソタ大学のジョニー・キャンベルと言う医学生がチアリーディングを行う為のチームを編成しメガフォンをもって懸命に応援しました。ジョニー・キャンベルは世界で最初のチアリーダーと認められ1898年11月2日は組織化されたチアリーディングの正式な誕生日とされています。ミネソタ大学はすぐに6名で編成された「エールリーダー」を作り、1903年には最初のチアリーディング同好会「ガンマシグマ」を設立しました。応援エールはジョニーが考えたエールをそのまま使っています。

2.女性チアリーダーの誕生

この様な表現はおかしいと思われるかもしれませんが、チアリーディングが誕生して約20年間は男性のみによる応援活動であり1923年ミネソタ大学でようやく女性が参加し始めました。これは女性にもっと参加してほしかったではなく当時の時代背景もあり「女性の参加がようやく認められた」と言う文献も多数残っています。応援方法も進化していき、チアリーダーはステップにタンブリングやアクロバットを追加し、オレゴン大学のチアリーダーは最初にフラッシュカードを使ったフラッシュカードチアリングを行いました。

女性チアリーダー
 

なにわともあれ、1923年以降、女性たちは徐々にチームに参加しはじめ1940年代には男性は幾多の戦争で軍隊に徴兵されたと言う事もありより多くの女性たちが参加する様になり今では97%が女性とされています。当時の衣装は当然ながらミニスカートではなくロングスカートでした。

3.チアリーディングの祖父

1948年ダラス出身でサザン・メソジスト大学のチアリーダーローレンス・ハーキマーはナショナル・チアリーダーズ協会を設立しサムヒューストン州立教育大学(現州立大学)で最初のチアリーディングサマーキャンプを開催しました。 
開催資金の600ドルは知人(友人の義父とも言われています)から借り入れ、初回は52人の女子生徒しか集まりませんでしたが翌年には参加者が350人に増えその後サマーキャンプの収入がサザン・メソジスト大学での報酬をはるかに超えた為チアリーディング事業に専念しました。
キャンプでは指導員も1500人以上育ち、全国に数万人の生徒を有しています。彼はサマーキャンプのみならずチアウェアも販売して大成功を収めました。
このキャンプ・プログラムは1986年に2千万ドルで売却され彼は余生をフロリダ州で過ごしていましたが残念ながら2015年7月1日心不全の為テキサス州ダラスにて永眠されました。享年89歳 
ハーキーは、彼の代名詞ともなった“ハーキージャンプ”や今日では当たり前の様に使われているスティックやポンポンを開発しています。初期の頃のポンポンは紙製であった為雨天の試合ではすぐに使い物にならなかったので後にカラフルなナイロン製に改良しています。カラーテレビの普及の影響もあり爆発的に売れ、1971年には特許と登録商標を取得しています。 ポンポンは当初pompomとされていましたが、これは他言語では下品な言葉とされていた為スペルをpomponで登録しています。 

チアリーディングは元々男性による応援活動でしたのでハーキマーは現在でも「チアリーディングの祖父」と呼ばれています 

ハーキージャンプ

4.チアリーディングは意外と危険な競技です

チアリーディングは急速に発展し1960年代からアメリカではどの学校でもチアリーディングが見られます。スタンツも初期の頃は簡単なピラミッドを組む程度でしたが技術もどんどん高度になってきました。

今では床から3m以上の高さにトスされ地上で数人のチームメイトに受け止めてもらいます。

しかし受け取る側のスキル不足や体力不足或いは連携ミスでしっかりと受け止められなかったせいで骨折、頭部挫傷等重大な事故が続出し死亡事故に至ったケースもあり生涯その傷を背負わなければならないチアリーダーも少なくありません。 チアリーディングは大変危険なスポーツでもあると認識され1987年には安全基準を設けコーチやアドバイザイーに安全性を教授する為の協会が設立されました。
AACA=American Association of Cheerleading Coaches and Administrators
 
事故を起こさない為にも日々練習に励んでおられると思いますが、安全面には十分注意しましょう!

5.チアリーディング・ユニフォーム今昔

女性のチアリーダーが登場したのは1923年からでしたね。当時はロングスカートで足の露出などはもってのほかでした。

1900年代初頭はユニフォームと言うより衣装に近く、セーターに学校名のイニシャル或いは単にHとS(High school) を書いていましたが、これらは動いているうちに暑くなり非常に不快な思いをさせられたので気候に応じてロングカーディガンに  タートルネックシャツや襟付きのブラウスに変わりました。  主流は、濃い目色の足首まであるウール製のロングスカートにセーター。 その後、主に宗教関係の学校や大学のチアリーダーによりチェック柄のスカートが流行ました。ハーキマーが次々とセーターやスカートを発表した事もありチア衣装はチアユニフォームとして1950年から1960年の間に急速に変化していきました。

チアロングスカート5

1960年代、一般のファッションが変わったと同時にチア衣装もより動きやすくする為にロングのウールスカートから膝までの短めのスカートに変わっていきます。

チア1960_2

トップスも劇的に変わり、ロングカーディガンの代わりにショートスリーブクルーネックセーターを着るようになりましたが学校名のイニシャルやメガフォンに載せるエンブレムの位置は変わっていません。
チアリーダーである事はその学校の代表と言う意味でもあり非常に名誉な事であった為、特に高校では学校のイニシャルを重視しています。
 
時代の変化と共に多くのチームはより動きやすくする為にアスリートが着るような素材あるいはシューズを着用するようになり衣装はスポーツウェアに変わりました。 セーター、ベストやスカートの種類も豊富になりスクールイニシャルも昔より精巧でカラフルに仕上がりました。 この新しく機能的でスリム化されたユニフォームは伝統を傷つけることなく動きがより軽やかになると評判でした。
チアリーダーも応援チームと言うよりアスリートに近づき、女性の場合ブラウスを省き肌に直接セーターを着るようになりました。しかし当時の時代背景ではこの様なユニフォームは機能的であっても保守的な女性からは蔑視されていて短くなったスカートや体にぴったりフィットしたセーターは、時には“下品” ”ふしだら”と見られていました。

チアセーター_1

1985-1995年のユニフォームは、“スラウチュソックス”(日本ではルーズソックスみたいなソックス)以外、現代のものとほとんど変わりません。 Kedsのスニーカーは、多くのチアリーダーに愛用されました。スカート丈も短くなりましたが学生ですので規制の対象になり一般ルールとして腕を下に下げた時指先にかかる長さとしていました。

チア1985_2

現在のユニフォームは生地や機能性からして完全にスポーツウェアです。
アメリカでは高校の場合は全米高校協会、オールスターの場合は、オールスター協会の規定に準じなければなりません。スカートも劇的に短くなり現在の平均は10-13インチ(25.4-33cm)で毎年短くなっています。しかしタンブリングなどでは生地が多いと事故につながる為あえて「短目」を推奨するチームやコーチもいます。
 
チアユニフォームは、今後どう進化して行くのでしょうか? 

ちなみに男性チアリーダーの場合、基本スタイルはほとんど変わっていません・・・
 

 
チアメンズ

6.有名人で元チアリーダー

アメリカ合衆国歴代大統領
アイゼンハウアー、フランクリン ルーズベルト(ハーバード大学)、ロナルド レーガン(ユーロカ大学)、
ジョージ ブッシュ(エール大学)
 
俳優では、サミュエル ジャクソン(モアハウス大学)、マイケル ダクラス、サンドラ ブロック(ワシントンLEE高校)、リンゼイ ローハン、キャメロン ディアス(ロングビーチ科学技術高校)、
ジャニファー ローレンス、マドンナ など。

7.チアダンス (ドリルチーム・ドリルダンス)

ソングリーディングとはチアリーディングから派生したチアダンス競技ですよね。 チアリーディングから独立した競技で華やかなチアダンスを2分半披露します。ジャズやヒップホップ、ファンク等さまざまなダンスを組み合わせたダンスで代表的なものは、ポンポンと使ったラインダンス、フロアワークやジャンプ。 競技もジャズ部門・POM部門・ヒップホップ(男女混合ヒップホップ)部門など、部門別に分けられています。
ソングリーダーは、ダンスを中心に行っているのでスタンツやタンブリングは行いません。基本的に禁止ですしね。チームの応援も基本的には行いません。でもチアリーディング同様チームワークとチアスピリッツを大切にしています。南カリフォルニア大学が発祥の地と言われていますが、定かではありません。
 
チアダンスは、20世紀初頭に高校教師のケイ・ティア クロフォード女史が素行の悪い女生徒達を更生させる為に考案した種目とされています。当時フィールドは一部の例外を除き男性の領域で女性はスタンドで観戦・応援するのみでしたので暇を持て余していた。ドリルとは軍隊の行進の様に全員が同じ行動をし正確であったのでミリタリープレシジョン(軍隊的正確さ)とも呼ばれており、その後ダンスの種類も増えこの規則正しく美しいフォーメーションが女生徒達の間で大人気となりいつしか「品行方正」「容姿端麗」「成績優秀」でないとドリルチームには入れないとされてきました。
 

チアさンス USA

 
チアダンスと言う表現は日本独特で、アメリカでは一般的にポムダンスと呼ばれています。チアダンス、バトントワリングやマーチングバンドの様に全員が同じ動きをする種目を全てまとめてドリルチーム又ドリルダンスと称しています。
 
バトントワリングの起源は所説ありますが、1900年代初頭にアメリカの軍楽隊の先頭に立って指揮をするドラムメジャーが自分の指揮杖を回した事がバトントワリングの始まりとされています。 その後指揮杖は改良され今のバトンの形になると魅せるバトンとしてアメリカで拡大していきます。

バトントワリングの第一人者はシカゴのブースと言う男性で、各地でバトンの公演を行いバトントワリングの普及に励みました。 1938年、ブースは ALL STAR TWIRLLING CLUB を設立。 バトントワリングも本来は男性による演技品目でしたが1939年に第二次世界大戦が始まると男性は軍隊に取られ代わりに女性のバトントワラーが増え始めました。
 
日本では「バトン・チア」と言う表現がありますが、アメリカでは「バトン・チア」と言う言葉は存在せずバトントワリングとチアダンスを同時に練習する事はないようです。 他のカテゴリーと区別する為につけられた言葉ですが、アメリカでは単に「ドリルチーム・バトンの部」になります。
 
ある日アメリカでチアとバトン、どちらが難しいかと言う議論になりそれに対しては大多数がバトンと答えています。理由として「チアは人間を放り投げ数人で受け止めるに対してバトントワリングはバトンを高く放り投げている間に回転やパフォーマンスを行い確実に片手でキャッチしそのまま続けて演技をしなければならないから」だそうです。 しかしこれに関しては賛否両論あると思いますのでよろしければご意見をお聞かせください。

8.ドリルチーム・ドリルダンス(チアダンス)の母

UCLAで修士課程を修了しテキサス女子大学で学んでいたガッシー ネル ディビスと言う小柄な女性は、テキサスのグリーンビル高校で科学とpep squad(応援隊)を指導する様依頼されましたが、当時どの学校にもあったにも関わらず応援隊の存在すら知りませんでした。固定概念がなかったと言う事も幸いして彼女は試行錯誤の末新しいリズムでのマーチングやバトンを使ったパフォーマンスを披露しています。 当時フィールドでプレーできるのは男性だけであった為ディビス女史はどうにかして女生徒達をもフィールドでハツラツとプレーさせられないかと考えそのコンセプトを元に進化したマーチングチームを作り上げハーフタイムだけでもフィールドで活躍できるものを作り上げました 。
 
その2年後、偶然にも同じコンセプトを元にケイ クロフォード女史がより進化したドリルチームを結成しています。たまに「それではディビスの方が先に作ったのでは」と言われていますが、ディビスはマーチングバンド寄りとされておりケイはバトンも取り入れていますがチアリーディング経験者であった事もありダンスの質が高かった為ドリルダンスの創始者とされています。
 

kei

1914年8月16日テキサス州生まれ。
母親はネイティブアメリカンのハーフであった事もあり父親は農場を辞めテキサス州で保安官を目指していました。
(保安官になれば家族で自由に旅が出来たからとも言われています)
 
しかしエジンバラに移動後父親が急死し、母子は空き家で寝泊まりし近所の庭から野菜等を盗み生活をしていました。しかし彼女はそんな境遇におかれてもトイレ掃除などアルバイトをしながら生活費を切り詰めパンアメリカン大学で準学士号ベイロア大学とテキサス大学で修士課程を取得しています。論文の内容は「高校のカリキュラムの中にドリルチームを設け教育的価値を高める」
 
華やかな経歴の裏では大変な苦労をされていますが、その後の活躍はご存じの通り数々の高校・大学でドリルチームの普及に励みサマーキャンプの実施や国際大会を開催しています。
 
彼女の人徳はもとよりドリルチームに対する熱意は多くの支援者が共感し成功を収める事が出来たと言われています。
 
ケイはドリルチームと生徒達をこよなく愛しドリルチームをオリンピックの正式種目にすると言う野望を持っていました。残念ながら生前この夢はかないませんでしたがいつかは彼女の意思を受け継ぐ者たちにより達成してほしいと願っています。 2001年8月29日カリフォルニア州の自宅で永眠。 享年88歳 

9.キッズ チアリーダー

チアリーディングの競技人口増加に伴いキッズスクールもどんどん増えています。 現在、幼児期のお習い事としてお子さんをチアキッズスクールに通わせているケースが多くなってきています。
スクールも大規模施設もあれば10人未満の地域に密着したスクールと色々ありますね。チアリーディングに限らずチアダンス、バトン・チアもあります。幼い頃から体を動かしチスピリッツを学んでいます。小学生の部と言ってもあなどれません。時にはビックリするような演技を披露してくれます。皆さん、負けていられませんね!

kids-cheer

参考資料

Wikipedia (EN, JP)
isports.com
American Dance/Drill Team
Kay Teer Crawford Guide History
Encyclopedia.com
Varsity.com
Omnicheer.com
Recent cheerleading safety studies
Time.com
MDD USA

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